プラスチック狂騒曲から透ける保守思想の重要性

今欧米で何かと騒がしい。そう、ボトルドウォーターのプラスチック容器のことです。

どこかのNGOが始めたキャンペーン、ペットボトルのボトルドウォーター(日本的に言うとミネラルウォーター)の多くから2μ程度(1ミリの千分の2程)のプラスティック粒子が見つかったと大騒ぎし、ガーディアンはじめ一流紙とされる(?)メディアが取り上げました。

で、健康被害は? 何の報告もありません。その程度の異物は我々は日常的に空気中から吸っていますから当然です。

彼らメディアはWHOを焚きつけ調査を開始させたと言っていますが、そんなこんなで無駄に終わるでしょう。

賢明な世界市民はそのNGOの独善的に気付いているはず、でなくともそのうち気づくでしょう。

飲料食品全体のプラスティック容器におけるミネラルウォーターのシェアはほんの一部、つまりプラスティック素材問題の本丸たるソフトドリンクから調味料までの大市場調査が必須であるにも関わらず、なぜか水だけに的が絞られている不自然さ。

彼らの目的は自分が世の中を変えたという達成感という自己満足の最大化、極めて個人的なモチベーション。

そのための素材を探してみると、世の中は資源保護やら温暖化やらの方向性?、であればボトルドウォーターは嫌われ役に仕立て易し、「よしっl」てなわけで、世に自分を大きく見せる自己満足プロジェクトには恰好に見えたのかもしれません。

このようなNGO(またはNPO)は他国の伝統文化を攻撃する団体同様、根底の思想は「自分の考えが正しい」「自分の考えに従い行動すれば世の中はもっと良くなる」と信じて疑いません。

一方的に拳を振り上げることに夢中で、相手が存在する意味、歴史、これまで関係してきた人々、今関係する人々のかかわりを想像する暇は彼らにありません。

少しでも謙虚という言葉を信じる者は、世の中を良い方向に変えようとするとき、相手を潰すのではなく、伝統を経て相手が今ある理由に誠実で、あったとしてもゆるやかな変化を模索するでしょう。

エドマンド・バークの「フランス革命の省察」を読んだからか、本件からも、自分に謙虚な人間ほど本来の意味での保守的な人間であることが見えてきました。

本件は日本でも惰性で大きなニュースになるかもしれませんが、賢人たる皆様は確かな視座でもって本質をお見抜きください。

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