魔法の言葉(2)
②所有しない所有物?
出張の帰りのヒースロー空港。時間つぶしと書店でペーパーバックとFinancial Timesを買って近くのベンチに掛ける。セピアカラーのFTを広げ、紙面を寡占する環境ビジネス記事やマーケットセクションやらをスキムする途中、ある時計の広告に釘付けなった。
それは父親と男の子がオートバイを修理している白黒写真。7~8歳か、父の愛情に包まれている男の子、すぐ前の共同作業に夢中な目はみずみずしい。そして膝を立てる父の腕にその時計がさりげなく巻かれている、といった構図。図柄だけで頬が緩んだ広告だったが、ズドンと来たのは片隅に書かれていたコピー、
You never own Patek Philip. You just look after it for next generations. (それは決して貴方の所有物にならない — 貴方はそれを次世代のために守るだけである)。
これだ、と思った。
僕は腕時計をしていない。携帯電話がその機能を果たしているので必要を感じず、外見ナルシスト期を過ぎた僕にオシャレ用のニーズは高くない。今後も時計を着ける機会は極少だろう。
その腕時計、この広告に出会った日に僕にとって全く違ったものに変わった。無関心だった腕時計は本来の機能とは全く無関係のところで、僕で始まり僕の孫ぐらいまで何とか受け継がれる可能性の高い、ちょっとした伝統ともいえる時空を蓄積する証となった。だから、「時計を絶対に買う。そしてXXX万円以下の時計は買わない。」というモットーまでできてしまった。
世代間で引き継がれるもの、引き継がれるべき何か大切なもの、そんな何かが表象できる何かを探していた自分の潜在ニーズに気付かされ、その頃Longitude(経度)という本でジョン・ハリソンの虜になっていた僕には時計であると自然に導かれ、支払対価としてそのくらいが適当と思った。いつになるか分からないが、その目標に向かって、今晩も晩酌は100円酎ハイってところ?(他の消費削ってもマクロ的に意味無いんだけど。。)
商品定義を変えることで高級腕時計の消費(このケースでは目的としてのそれ)が喚起された見事なコピー。新たな消費の創造に直面する販売者としての僕らにとって、いい勉強になった。
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