インド・スーラト
インド西部スーラトの保健当局が基準を満たさない21のミネラルウォーター工場を営業停止にしたようです。
これからの季節に不衛生な水は許されないと当局者がコメントしています。
https://timesofindia.indiatimes.com/city/surat/21-mineral-water-plants-sealed/articleshow/63790424.cms
自裁
兄が逝った昨年12月21日から最初の月命日、西部邁先生が自裁されました。
西部先生、最高の知性をもちながら、その修得過程ではチンチロリンやらハッシッシ、今風のエコノミストや評論家が束でかかってもかないません。
兄と同列にする失礼をいたすつもりはありませんが、そのタイミングのためか、身近に感じて仕方ありません。
兄の人生はずっと精神疾患に悩まされたものでした。
だからとにかく粗暴になってしまう。
裏をかえせば、とびっきり純粋。51年間、僕に一つも嘘をつきませんでした。
嘘をつけば丸く収まったのでしょう。
でも、自らを犠牲にして人間の醜い側面を見事にあぶりだした彼の生き様。
イーストウッドのグラントリノの日本語の宣伝文句、「男の人生は最後で決まる」ってありましたっけ。
兄ちゃん、自分で決着をつける男らしさ、尊敬します。
送料改訂のお知らせです
水広場の送料を税抜500円から550円に改訂いたしました。
これまで宅配会社の運賃値上げを当方で吸収してきましたが、今年に入ってからヤマト運輸による大幅値上げもあり赤字でのお届けが相次ぎ、大変心苦しいながらも値上げの一部をシェアして頂けますよう、切にお願い申し上げます。
他方、送料無料商品もたくさんございます。5,500円以上のご注文で送料無料になる仕組みにも変更はございません。
皆様の健康とQuality of Lifeに資するよう今後も精進してまいりますので、どうぞ変わらぬご愛顧のほど、お願いを申し上げます。
あれから50年ですか
何年か前の早朝、カーラジオでNPRがキング牧師の演説をノーカットで流していました。
I have a dream. という現代史有数の名演説。
それを全部聞いて水広場的に判明したこと、それは、「間」・・・・
数ある牧師のdreamsが演説の根幹、それらは一般文法的にI have a dreamで始まると思いきや、I have a dreamで終わっていたのです。
聞いているとこんな感じ:
」I have a dream(1)・・・・・・・・「夢の描写(1)」I have a dream(2)・・・・・・・・「夢の描写(2)」I have a dream(3)・・・・・・・「夢の描写(3)」I have a dream (・
例えば、「いつの日か、白人と黒人の子供たちが手をつないで登校できること」が夢のひとつだとして、その最後のセンテンスを言い終わっても息継ぎせず次のI have a dreamとつなげてしばしポーズ(上の・・・・・の部分)、その夢の描写が続き同様にその最終センテンスの後に次のI have a dream・・・・、それらが繰り返されるうち、ポーズの部分で「次の夢がまだ続くんだな」とばかり聴衆は熱狂しだし、その期待に更に感動的な中身で応えるものだからたまりません。
天才的な間のつくり。これはテキストを読んでもわかりません。
信念を文字におこした横糸に天性の才能たるmusicの縦糸が紡いだ、そんなスピーチを実演できる人物は滅多にいないでしょう。
半世紀後でもノーカットで流すぐらいですから。
この才能は敵からみれば大きな脅威、従って牧師のスピーチ能力が多少なりとも凡庸であれば暗殺はなかったものと想像します。
I have a dream・・・・・・命を狙われるほどの信念と才能をもった真の政治家がいつか日本に現れることを・・・失礼しました。
高級紙という名の低級
フェイスブックが胡散臭いことは昨年書きましたが(https://www.mizuhiroba.jp/blog/?p=1299)、たまたまニューヨークタイムスを読んでたらフェイスブックに批判的なオピニオン記事がありました。
世の風が全ての今のマスメディア、叩かれている者をここぞとばかり批判するのはまさに今風のインテリというやつでしょうか。
高級紙ともされるニューヨークタイムズ、上記の例にもれず倫理・知的水準はこの程度。
まずオピニオン記事は必ずしも同紙の人間が書くわけではないとはいえ、誰にどんなオピニオンを書かせるか、または受諾するかは同紙が決めることです。
今回のオピニオン、フェイスブックは事業収益構造がそもそも誤りなので修正させるのではなく、他の媒体がとって変わるべきで、それは有料モデルのSNSかウィキペディアのようなNPOのいずれかが適しているとあります。それはそのとおり、というか周知のとおり。
ただほど怖いものはなし、FBが無料と思いきや個人情報を売り渡した対価のサービスである事にNYTは今気づいたのでしょうか。
水広場的に補足すれば、フェイスブックの事業モデルには排他と分断をもたらす社会的欠陥があること。
そのニューヨークタイムズ、フェイスブックを全面否定した今回の記事を最後まで読んだら(無料で月10件ほど読める)、末尾にこんなリンクがありました。(画像参照)
「ニューヨークタイムズのオピニオンセクションをフェイスブックでフォローする」。
やはり、今気が付いたのでしょう。
プラスチック狂騒曲から透ける保守思想の重要性
今欧米で何かと騒がしい。そう、ボトルドウォーターのプラスチック容器のことです。
どこかのNGOが始めたキャンペーン、ペットボトルのボトルドウォーター(日本的に言うとミネラルウォーター)の多くから2μ程度(1ミリの千分の2程)のプラスティック粒子が見つかったと大騒ぎし、ガーディアンはじめ一流紙とされる(?)メディアが取り上げました。
で、健康被害は? 何の報告もありません。その程度の異物は我々は日常的に空気中から吸っていますから当然です。
彼らメディアはWHOを焚きつけ調査を開始させたと言っていますが、そんなこんなで無駄に終わるでしょう。
賢明な世界市民はそのNGOの独善的に気付いているはず、でなくともそのうち気づくでしょう。
飲料食品全体のプラスティック容器におけるミネラルウォーターのシェアはほんの一部、つまりプラスティック素材問題の本丸たるソフトドリンクから調味料までの大市場調査が必須であるにも関わらず、なぜか水だけに的が絞られている不自然さ。
彼らの目的は自分が世の中を変えたという達成感という自己満足の最大化、極めて個人的なモチベーション。
そのための素材を探してみると、世の中は資源保護やら温暖化やらの方向性?、であればボトルドウォーターは嫌われ役に仕立て易し、「よしっl」てなわけで、世に自分を大きく見せる自己満足プロジェクトには恰好に見えたのかもしれません。
このようなNGO(またはNPO)は他国の伝統文化を攻撃する団体同様、根底の思想は「自分の考えが正しい」「自分の考えに従い行動すれば世の中はもっと良くなる」と信じて疑いません。
一方的に拳を振り上げることに夢中で、相手が存在する意味、歴史、これまで関係してきた人々、今関係する人々のかかわりを想像する暇は彼らにありません。
少しでも謙虚という言葉を信じる者は、世の中を良い方向に変えようとするとき、相手を潰すのではなく、伝統を経て相手が今ある理由に誠実で、あったとしてもゆるやかな変化を模索するでしょう。
エドマンド・バークの「フランス革命の省察」を読んだからか、本件からも、自分に謙虚な人間ほど本来の意味での保守的な人間であることが見えてきました。
本件は日本でも惰性で大きなニュースになるかもしれませんが、賢人たる皆様は確かな視座でもって本質をお見抜きください。
懸情流水 受恩刻石
「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」
お恥ずかしながら成人後にようやく出会い感銘を覚えた言葉ですが、50を過ぎてもその境地は遥か遠くにあります。
かけた情けは水に流せている、つまり見返りを期待する習慣には無縁のような気がする一方、受けた恩も流してしまっている部分も多分にあるのではと。
QBハウス
QBハウス運営会社が上場しました。
10年程前でしょうか、創業者の小西さんと知り合ったのは水がきっかけでした。
既にQBハウスをオリックスに売却していた小西さん、「前から水にも関心があったんだ」とご自身の水事業を紹介してくれました。
小西さんのモデルは水道インフラを所与に消費地点(家庭)で水質をコントロールするもので、水道インフラを前提としない当方と対照的ながら当方にも少々ご関心を持って頂いたことがありました。
銀座のオフィスにも何度かお邪魔したことを思い出します。その後一度連絡をいたしましたが結局無沙汰となり申し訳ありません。
多くは語らない横顔から多少なりとも学ぼうと努力してきたつもりではありますが、人間としてのスケールがまず違うことを痛感しております。
もう関係は無いのかもしれませんが、QBハウス上場、おめでとうございます。
「渇しても盗泉の水を飲まず」・・・誰に必要?
水にまつわる諺は多くあります。
「渇しても盗泉の水を飲まず」そのとおり、どんなに苦しくても決して不正を行わないことは一般社会に広く認識されている基本的な倫理感です。
私たち一般庶民はいくら生活が苦しくても税金を納め、交通ルールを守り、ありとあらゆる公のルールに従い生き、その枠内で生活しています。
そこに不正がないか町役場から警察といったあらゆる行政機関が見ているわけで、不正は勿論、不注意や無知による違反に対してもペナルティが科されます。
他方、ルールを運用する行政側の不正は私たちが想像するより見過ごされていることが今回の森友問題でも見えてきます。
今水広場的に言いたのは既に悪行が暴露された財務省のことではなく、事に関わったかを問わず政治家のことでもありません。
検察のことです。
捜査中である事案の秘密を漏らすことは不正であり、それがまかりとおれば司法の信頼性を揺るがすため、決して看過できるものではありません。
従って、今回のリークが検察の人間がしたものであるならば、その不正が暴かれ、裁かれなければいけません。
本当に検察の人間がリークしていたとしたら、その理由は義憤かもしれません。
義憤にかられたならば、捜査証拠と自分の価値基準との間に許しがたい乖離があったからということになり、つまり自分の価値基準を絶対軸にして不正行為に至ったことになりますが、そのような理由づけを我々一般庶民がしたとき、それは傲慢といわれるでしょう。
司法手続き上あってならない秘密漏えいという不正が個人の傲慢により発生した可能性があるわけです。
事実を解明するのは検察ではなく、裁判所であるはずでしょう? なぜ正当な手続きで財務省改竄者を起訴しないのでしょう?
義憤? 生活苦に苦しむ隣人のために、儲かっている店から盗みを働く庶民を警察や検察は許さないでしょう。
今回、本当に検察の人間がリークしていたら、彼/彼女/彼らは罪に問われなければなりません。一般庶民であろうがこれを言う権利はあるはずです。
検察の秘密リークは不正行為ですが、その場合、リークを享受した朝日新聞に罪はあるのでしょうか? そそのかしていたなら、法律論はともかく、罪の存在は上記の理由からも明らかでしょう。
他方、もし検察がリークに関わっていなければ上記推測は誠に失礼千万、その場合は予め深くお詫びを申し上げます。
河と国
ナイル川が問題になっています。川上のエチオピアのダム建設にエジプトが抗議、中間のスーダンは様子見といったところか。
経済的に発電事業はエチオピアにとり重要、一方の川下エジプトは川上で勝手に水量を管理されては死活問題になるとして深刻。
挟まれているスーダンは上流でダムができることで水位差が8mから2mに改善されるとのことで反対の声はエジプトほど大きくならない。
エチオピア源流はナイル川水量の8割以上を占める規模。
紛争をさける解決に向けた発起点は世界的な「公と私」の確認だと思います。
水と石油は天然資源ですがその経済社会的性格での違いは油は私的(国であろうが民間であろうが土地を持つか掘り当てた者のものとして認識されてきているという意味でのprivate性)であり、また石油は生物に不可欠ではないけれど水は不可欠であることからも公的側面が強い。この公私の観点は次元は違えど水の中にも地下水と表流水(河川)という区分で存在します。
国をまたぐ河川は公的なもの、よって国や民間などの「私的」な目的に依拠してその利用形態を決められるのではなく、各国の法律を超越した世界的に公的な憲法のようなものがあったらどうでしょう。完全な法などというものは存在しえませんが、紛争当事者に対し、世界的合意の認識という軸は持てるかもしれません。
ナイル川の問題は1世紀近く前からあり、その仮定で「ナイル川流域イニシアチブ」ができましたが、目的とおり機能せず、今回の2国間論争では世界銀行が仲介に入ったようです。
日本の皇太子殿下が世界水フォーラムに出席している今、日本はいろいろな意味で潜在力をもっています。
小さいながらも何かできることがあれば水広場は活動を惜しまないことです。