紹介

水広場の営業開始から3年、ブログを始めることになった。創業者として自身を振り返る作業です。起業論から最新ニュースまで幅広く、「水広場的」に紡ぎます。

魔法の言葉(2)

②所有しない所有物?

出張の帰りのヒースロー空港。時間つぶしと書店でペーパーバックとFinancial Timesを買って近くのベンチに掛ける。セピアカラーのFTを広げ、紙面を寡占する環境ビジネス記事やマーケットセクションやらをスキムする途中、ある時計の広告に釘付けなった。

それは父親と男の子がオートバイを修理している白黒写真。7~8歳か、父の愛情に包まれている男の子、すぐ前の共同作業に夢中な目はみずみずしい。そして膝を立てる父の腕にその時計がさりげなく巻かれている、といった構図。図柄だけで頬が緩んだ広告だったが、ズドンと来たのは片隅に書かれていたコピー、

You never own Patek Philip. You just look after it for next generations. (それは決して貴方の所有物にならない — 貴方はそれを次世代のために守るだけである)。

これだ、と思った。

僕は腕時計をしていない。携帯電話がその機能を果たしているので必要を感じず、外見ナルシスト期を過ぎた僕にオシャレ用のニーズは高くない。今後も時計を着ける機会は極少だろう。

その腕時計、この広告に出会った日に僕にとって全く違ったものに変わった。無関心だった腕時計は本来の機能とは全く無関係のところで、僕で始まり僕の孫ぐらいまで何とか受け継がれる可能性の高い、ちょっとした伝統ともいえる時空を蓄積する証となった。だから、「時計を絶対に買う。そしてXXX万円以下の時計は買わない。」というモットーまでできてしまった。

世代間で引き継がれるもの、引き継がれるべき何か大切なもの、そんな何かが表象できる何かを探していた自分の潜在ニーズに気付かされ、その頃Longitude(経度)という本でジョン・ハリソンの虜になっていた僕には時計であると自然に導かれ、支払対価としてそのくらいが適当と思った。いつになるか分からないが、その目標に向かって、今晩も晩酌は100円酎ハイってところ?(他の消費削ってもマクロ的に意味無いんだけど。。)

商品定義を変えることで高級腕時計の消費(このケースでは目的としてのそれ)が喚起された見事なコピー。新たな消費の創造に直面する販売者としての僕らにとって、いい勉強になった。

魔法の言葉(1)

相手あっての言葉はいつも困難。コミュニケーションの色んな材料との格闘が僕の毎日、そんな日常の中で時たまドキッとする言葉との出会いがある。使いようでは魔法になるのがコトバ、そんな体験例をふたつ。

①崩壊から栄光へ

僕が「チームバチスタの栄光」のハードカバーを買った理由は、どこかの書評で天才外科医のミステリーである点に加え日本の社会問題である検視の問題に切り込んでいるとの記事を見たこと、そしてタイトルにどこか惹かれたものがあったから。

最後まで一気に読ませるエンターテインメント性で十分楽しめるけれど、僕がこの作品で「なるほど」と感嘆させられたのは本文でなく、解説でこの本のタイトル名が変更されていたということを知ったときだった。

世界的名声を持つ天才外科医のチームが手術の失敗に関わる事件をきっかけに堕ちていく内容のこの作品タイトルは、もともと「チームバチスタの崩壊」だったらしい。

内容をより正確に表現したオリジナルタイトルのままであったとしたら、僕はこの本を買わなかった可能性が高い。さすがプロ、といいたくなるセンス、「栄光」に変わっただけで作品がすっかりとカラフルになり、心地よい想像の余地をつくり、陳腐な火曜サスペンスが話題のミステリー大作になってしまったかのような(おおげさ?)、そんな効果をもたらしているような気がしてならない。

こんなセンスが僕らにも必要だ。

激安販売と市場創造

市場創造の続き。

実際に市場を見ると、一部販売者の間で恒常的に過度の割引販売が行われていることがある。そこでは、人気ブランドが廉価ルートで仕入れられ(例:並行輸入品)、最安値で大量販売され、それ自体では利益を生まないけれど、競合相手の顧客を引き寄せ、また販売時にリストとして得る顧客の一部に他商品を販売し利益も回収する目的があると聞く。

ミネラルウォーター市場でも一部有名輸入ブランドにこのような実態はある。僕らは激安を激安で追随すべきか?消費創造の観点で捉えるとこのような例の激安は市場破壊となり、パイ全体の拡大も目指す僕らにとってそれはすべきでないと確信した。

簡単な例で示すと、これまで100人の消費者が全て正規品を正規価格1本200円で買っていたとすると市場規模は20000円、そこに120円の激安品が現れ80人が激安に移行(同9600円、メジャーブランドの飲料・日用品の価格弾力性は非常に高い)、20人はそれでも正規価格で購入(同4000円)、20人が初めてその商品を買い市場が創造された(同2400円)と想定すると、市場規模全体で16000円となり、市場は20%縮小したことになる。

激安販売が製造ないし流通上のイノベーションによるものであれば市場全体で損害は生じない。しかし実際の激安の多くはイノベーションではなく、他者(正規販売者)が長年築いたブランドエクイティの横取りと変わらず、資金力さえあれば誰でもできることだ。

買うお客様からすれば激安は大歓迎、しかし、原産国における小売価格と変わらない値段を日本で見たらどう思われるであろう。品質を疑うべきであり、中間業者のどこかで過度なコスト負担があると想像すべきで、いずれにしても維持可能な姿ではない。

どれだけ売上高が欲しくなろうとも、弊社はブレることなく、地道に少しずつ、水を愛するお客様を増やしていくだけである。

市場創造

起業家としての僕らが一貫して目指し努力していること、それは「消費の創造」である。

僕らのいう消費の創造(ないし市場創造)とは、今までその商品・サービスを消費したことの無い消費者が新たにそれを消費することであって、既に消費したことのある商材に飽きて他のメーカーの商品を新たに購入してもそれは消費の創造でなく、マクロ的にも市場拡大と言えない。例えば新しい趣味ができ、そのために買ったロードバイクや楽器などは新たに生み出された消費機会の例といえる。

市場創造を水広場の当事者として定義すると、これまでボトルドウォーターを飲んでいなかった方々が新たに消費活動を始められることを指す。

消費機会の創造のための水広場サイトにおける具体例としては、機能水、地場の名水、上質な発泡水、世界の由緒ある名水など、どなたにも必ずフィットする商材を隈なく集め、専門アドバイスなど、より価値ある方法で提供することで、水にお金は使わないといわれる皆様に対し、水消費のベネフィットを伝える必要がある。弊社が提供できる価値をより多くの方に試して頂くべく、知恵を絞り出すのも水広場における市場創造の一環であり、怠ってはいけない。

水広場的株主論

水広場には発起人の2名以外にも株主が複数存在する。

僕らの恩人といってよい皆様、発起人である僕と林君の知人である。職業は多岐にわたり、会社経営者の方々、一流弁護士の先生、花形外資系投資銀行マン、敏腕アセットマネージャー、パロ・アルト在住の経営・ITコンサルタントの方も。それぞれ活躍される場は違うが、グローバルウォーターを応援して下さっている。

どれだけ有難いか、自分達という人間を信じ、おカネを出してくれる方がどれだけいるだろう?という設問を改めて投げかけると、しみじみと実感する。感謝すると共に、身が引き締まる。

資金面でお世話になっていることは勿論、僕らが感謝しているのは皆さんからの客観的なアドバイス。外からだからこそ見える部分、あるってことが分かります。そんな皆様に早く恩返しできるよう、日々前進するのみです。

先輩

ある晩、同年で20年来の友人のH君に、秘密にしていたミネラルウォーター専門商社の案を初めて漏らした。

どこかのバー。多分バーンスタインとかいう人の本を片手に、金融の世界のリスクやらリターンやらの話をしていた時、突然トピックが変わり、一緒にやらないかと誘った。二人とも少し入っていて、「いいねえ」と盛り上がった。でも人生で決して小さくない話、湧き出たアイデアだけで調査もこれからっていうところ、素人がゼロからやるのは滅茶苦茶リスキーである。上場株式投資も相応のリスクがあるけれど、そこらの紙くずを勝手に株券と呼び、その値段を上げようという支離滅裂な話、当時独り者だったとはいえ、彼を引き込むことを若干躊躇した。だからしつこく聞いた。「本当にやるのか?」「やる」。「いいのか?」「いい」。「酔ってるか?」「うん」。

その林君と僕は共同発起人として会社を創り、彼は僕の相棒として、水広場サイトを運営している。

僕も決して話し上手ではないけれど、相棒の口下手さは異次元の世界だ。誠実な部分が相手に伝わらない。横で見ていてもどかしい。頭の中で、何か鋭い感覚的なものがあらゆる論理を強烈に押しのけている、きっとそうだ。

そんな彼にはHTML言語を楽々こなす才能があり、アーティスティックな能力に長け、実務面ではある有名ネット広告ベンチャーの創業期を支えた実績も持つ。そのベンチャーは大成、彼は創業時からのメンバーであり、普通なら株式の割当などで結構なお金持ちになっていても不思議でないが、彼は株などに固執せずに最後まで被雇用者として、そう高くもなかろう給与に徹したらしい。見ていて結構じれったいのである。

事業家としてのタイプは僕と反対、彼はまず今ある事案を処理し、僕は構造作りを強調する。だから起業当初は口論の毎日、大体は僕が仕掛けるパターン、当時はかなり神経質で、彼の誤字脱字などにも過敏に反応した。アルバイトの方も困惑したはずで、少し反省している。

相棒に対する見方が変わったのは、新規取引先から聞いた、弊社を選んだ理由。「林さんのお人柄で」。そう、独特なグラマーから発射されるフラグメントな彼の言葉で、お客様の厚い信頼を引き寄せている。そういえば、いらいらから発せられた僕の理不尽ともいえる攻撃も、彼はいつも新品のスポンジのようにすっと吸収してしまう。そんなところに僕は救われているのかもしれない。

彼は僕のギターの師匠でもある。以前、彼が言っていることか理解できず、弾いてもらったら分かったことがあった。今でもそんなところは変わっていない。多分。

相棒

ある晩、同年で20年来の友人のH君に、秘密にしていたミネラルウォーター専門商社の案を初めて漏らした。

どこかのバー。多分バーンスタインとかいう人の本を片手に、金融の世界のリスクやらリターンやらの話をしていた時、突然トピックが変わり、一緒にやらないかと誘った。二人とも少し入っていて、「いいねえ」と盛り上がった。でも人生で決して小さくない話、湧き出たアイデアだけで調査もこれからっていうところ、素人がゼロからやるのは滅茶苦茶リスキーである。上場株式投資も相応のリスクがあるけれど、そこらの紙くずを勝手に株券と呼び、その値段を上げようという支離滅裂な話、当時独り者だったとはいえ、彼を引き込むことを若干躊躇した。だからしつこく聞いた。「本当にやるのか?」「やる」。「いいのか?」「いい」。「酔ってるか?」「うん」。

その林君と僕は共同発起人として会社を創り、彼は僕の相棒として、水広場サイトを運営している。

僕も決して話し上手ではないけれど、相棒の口下手さは異次元の世界だ。誠実な部分が相手に伝わらない。横で見ていてもどかしい。頭の中で、何か鋭い感覚的なものがあらゆる論理を強烈に押しのけている、きっとそうだ。

そんな彼にはHTML言語を楽々こなす才能があり、アーティスティックな能力に長け、実務面ではある有名ネット広告ベンチャーの創業期を支えた実績も持つ。そのベンチャーは大成、彼は創業時からのメンバーであり、普通なら株式の割当などで結構なお金持ちになっていてある晩、同年で20年来の友人のH君に、秘密にしていたミネラルウォーター専門商社の案を初めて漏らした。

どこかのバー。多分バーンスタインとかいう人の本を片手に、金融の世界のリスクやらリターンやらの話をしていた時、突然トピックが変わり、一緒にやらないかと誘った。二人とも少し入っていて、「いいねえ」と盛り上がった。でも人生で決して小さくない話、湧き出たアイデアだけで調査もこれからっていうところ、素人がゼロからやるのは滅茶苦茶リスキーである。上場株式投資も相応のリスクがあるけれど、そこらの紙くずを勝手に株券と呼び、その値段を上げようという支離滅裂な話、当時独り者だったとはいえ、彼を引き込むことを若干躊躇した。だからしつこく聞いた。「本当にやるのか?」「やる」。「いいのか?」「いい」。「酔ってるか?」「うん」。

その林君と僕は共同発起人として会社を創り、彼は僕の相棒として、水広場サイトを運営している。

僕も決して話し上手ではないけれど、相棒の口下手さは異次元の世界だ。誠実な部分が相手に伝わらない。横で見ていてもどかしい。頭の中で、何か鋭い感覚的なものがあらゆる論理を強烈に押しのけている、きっとそうだ。

そんな彼にはHTML言語を楽々こなす才能があり、アーティスティックな能力に長け、実務面ではある有名ネット広告ベンチャーの創業期を支えた実績も持つ。そのベンチャーは大成、彼は創業時からのメンバーであり、普通なら株式の割当などで結構なお金持ちになっていても不思議でないが、彼は株などに固執せずに最後まで被雇用者として、そう高くもなかろう給与に徹したらしい。見ていて結構じれったいのである。

事業家としてのタイプは僕と反対、彼はまず今ある事案を処理し、僕は構造作りを強調する。だから起業当初は口論の毎日、大体は僕が仕掛けるパターン、当時はかなり神経質で、彼の誤字脱字などにも過敏に反応した。アルバイトの方も困惑したはずで、少し反省している。

相棒に対する見方が変わったのは、新規取引先から聞いた、弊社を選んだ理由。「林さんのお人柄で」。そう、独特なグラマーから発射されるフラグメントな彼の言葉で、お客様の厚い信頼を引き寄せている。そういえば、いらいらから発せられた僕の理不尽ともいえる攻撃も、彼はいつも新品のスポンジのようにすっと吸収してしまう。そんなところに僕は救われているのかもしれない。

彼は僕のギターの師匠でもある。以前、彼が言っていることか理解できず、弾いてもらったら分かったことがあった。今でもそんなところは変わっていない。多分。も不思議でないが、彼は株などに固執せずに最後まで被雇用者として、そう高くもなかろう給与に徹したらしい。見ていて結構じれったいのである。

事業家としてのタイプは僕と反対、彼はまず今ある事案を処理し、僕は構造作りを強調する。だから起業当初は口論の毎日、大体は僕が仕掛けるパターン、当時はかなり神経質で、彼の誤字脱字などにも過敏に反応した。アルバイトの方も困惑したはずで、少し反省している。

相棒に対する見方が変わったのは、新規取引先から聞いた、弊社を選んだ理由。「林さんのお人柄で」。そう、独特なグラマーから発射されるフラグメントな彼の言葉で、お客様の厚い信頼を引き寄せている。そういえば、いらいらから発せられた僕の理不尽ともいえる攻撃も、彼はいつも新品のスポンジのようにすっと吸収してしまう。そんなところに僕は救われているのかもしれない。

彼は僕のギターの師匠でもある。以前、彼が言っていることか理解できず、弾いてもらったら分かったことがあった。今でもそんなところは変わっていない。多分。

グローバルウォーターのはじまり

全てはアイデアから始まる。

サラリーマン時代から「事業創造」(「独立」とは違う)を自己実現の必須チャレンジと認識していたけれど、事業アイデアが生まれなければ何も始まっていない。凡人ゆえ、僕の場合のアイデアとは「ひらめき」などとは遠く、それまで無関係だった体験がひょんな拍子で結びつき、3つ、4つと繋がったところで何となく概念が浮かぶといったところ。体験には以下が含まれる。

1993年、ドイツ、デュッセルドルフのスーパーで出会ったミネラルウォーター。

偉そうな瓶に入った透明飲料は水だった。隣のビールより高い。

1995年、パリ、ペリエ。

ヘネシー、シャンパーニュ、ペリエ。。 水も立派なブランドになれることを知る。

2002年、顧客の一言。

ゴルフ接待の食事中、顧客企業の重役が「医者に水を飲めと言われてねえ」。

1993年にボトルドウォーター(ミネラルウォーター)の世界は僕のちょっとした関心事となるが、2005年に商材となるまでそれはずっと屋根裏部屋にあった。

アイデアとなったあたりで、「その事業は社会的に有意義か?」としつこく自問する。

当時の職業との折り合いが見えたところで現実化が加速する。

ある投資銀行における助言業務で、大手企業相手に客観的に欧米流のアドバイスをしている自分にそこそこ満足しつつ、そろそろ次のステップか?と、アイデア具体化したのは丁度そのような時で、事業構想が加速する。

様々な実践勉強の機会をもらった金融セクターに感謝、ゼロからの事業創造を次のチャレンジと決めた。

といいながらも不安。その不安は友人や先輩と話すことで軽くなり、相棒も誕生した。家内からも一定の理解を得た。そして勤め先を正式に退社、事業をスタートさせた。ウン千万円(うそ?)だった年収は100万円(ほんと)になり、僕はエクイティ型ライフステージに突入した。

起業家になって初めて感じたこと、分かったこと。

サラリーマンだった僕らが創業してから3年経った。アントレプレナー(起業家)になって初めて感じたこと、分かったこと。

プロセスと結果

(当たり前ですが)起業したら結果が生活を支配する。結果だけで食べる環境にいると、「結果」という意味に迷うことになる。「結果」は主体性を持ちすぎ、検証する間もなく当たり前のように次のプロセスが始まっている。「結果」はプロセスに取り込まれ、プロセス自体が目的化されていく。


格差は実際にあった
求人でハローワークなどを活用していくと、いろいろな人間模様と出会う。サラリーマン時代は他人が書いた記事や数値で世の事象を想像した(セカンダリー・インフォメーション)。アントレになって初めて種々の行政機関に自分で出向き、そんな中で生きた「統計サンプル」の多くと接するようになると、自分自身が収集する情報(プライマリー・インフォメーション)として残り、それらは個の事案ながらやけに説得力を持つようになる。そこから見えたのは、今の日本が想像以上の格差社会であったということ。


③ 自分は変わっていない
「思い切りましたねえ」と言われるほどの方向転換のはずだけれど、晩のドリンクがボウモアから酎ハイになったぐらいで、自分は変わっていない。相変わらず不精、毎日何かしら夢想している。